戒壇院
大般若会・お施餓鬼

2008年の映像です YouTube

大般若会(だいはんにゃえ)
当日配布された資料より


 唐の玄奘(げんじょう)三蔵法師がインドから持ち帰り660年から四ヶ年を費やして翻訳された最大の経典「大般若波羅蜜多経」600巻を転読、祈祷する法要です。{転読:経題を唱え、蛇羅尼(だらに)を唱えながら経本を繰る読経の仕方}
 仏前には、悪心を取り除く働きがあるといわれる「十六禅神」の尊像を掛けます。
中国では長い歴史の中で鎮護国家と除災招福を願う重要な祈祷会とされてきました。
 日本では文武天皇の大宝3年(703)に行われた記録が「続日本紀」にあります。人間としての真の幸福と世界平和を祈願する「全人類の願いを象徴する法会」として千三百年以上の伝統があります。(*戒壇院は761年に創建)
 祈願は
国家安穏、五穀豊穣、病気平癒、火災他一切の苦厄除去、交通安全、家門繁栄、平安無事を含みます。

 私たちは、他の生命を奪わずに一日足りとも生きることが出来ません。反省すれば、犯している罪の多さと深さに驚くばかりです。
 昔お釈迦さまに弟子が教えを請いました。「人間に生まれてきて、善とはどのようなことでございましょうか。善と悪との根源をお教え下さい」
 お釈迦様は、おっしゃいました。
 「人、慚愧(ざんき)の心あるを善といい、慚愧の心なきを悪という」と。慚は自己の作った罪を自らに恥じること、愧は他にたいして恥じることです。

 深く反省し、幸せを祈願することは、仏教徒の暮らしの中心であり、人間の尊さに目覚める尊い習慣です。
 懺悔された祈りは人間の最強の要素(大慈悲心)を引き出すといわれます。
 人々がお釈迦様の教えを守り謙虚に反省し、心の平安を得られるようにとの願いから花園法皇様は妙心寺を創立されました。
 しかし、妙心寺は、応永六年(1399)の政争による弾圧で34年間も廃絶されてしまいます。
 元の花園の離宮は、瓦礫と草に埋もれ、微笑塔(みしょうとう)のみが雑草の中に立っていたそうです。
 法皇様の願いを再現するために、開山さま直系の法を継ぐ日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)禅師が選ばれました。禅師は65歳の老齢にもかかわらず発願され、弟子達と共に汗を流し、復興に献身されたのです。
 血で血を洗う戦乱の世に生きられた花園法皇さまの願いも、日峰宗舜禅師さまの献身もひとえにこの人類の真の幸福を実現させる道場(禅寺)の創立と維持でした。
 わずか一人の発願が大きな力となり国を世界を理想に導きます。その原動力が、幸せを祈願する心であることを大般若会ごとに再確認できることは幸せです。



お施餓鬼

 毎年、お盆が近づきますと、どこのお寺でも、お施餓鬼の法要が営まれます。
 お施餓鬼の供養によって、亡くなられたご先祖様、お世話になった知人、縁者の方々が死後の世界で飢えや乾きに苦しむことのないよう、願いをこめてお勤めをするのです。
 そしてまた、この法要を縁として、お互いが施しの心を養う大切な行事でもあります。
 施餓鬼の起こりは、お釈迦さまの弟子の阿難尊者が、この施餓鬼を修することにより、あと三日の命が救われ、餓鬼道に堕ちる難をのがれたといおう故事に由来します。

今日、「餓鬼」といえば、子供をののしる言葉くらいにしか使いませんが、実は私達の身の回り、現実の生活の中にいくらでも見られるもので、私達の心に住んでいるものなのです。
 全ての事に満足できない、満ち足りることを知らない、常にガツガツと飢えあさっている貪りの心、求めてあくことを知らない人間の姿こそ、現実の餓鬼なのです。
 よく考えてみると私達は、「自分だけが、自分だけの、自分だけに」という心が先に立ち、いつも「得る」事ばかりで、施したり、与えたりすることが嫌いなようです。
 毎日のように新聞紙上を賑わしている現代の生々しい犯罪事件を見てもわかるように、生活が豊かになるにつれて、人の心も豊かになるかというと、そうではないようです。財産があるからといって、必ずしも幸せとは限りません。
 とらわれの心が深まると、かえって苦しみは増します。また、どんなに貧しい暮らしをしていても、他人に施しを与える喜びを知っている人もいます。
 自分で出来ることは、喜んでさせていただく、そして見返りなど求めない施しの心が私達の生活にうるおいを与えてくれるのです。

  うばえ合えば足らぬ
  分け合えばあまる
  うばい合えば憎しみ
  分け合えば安らぎ
  −相田みつお−






毎年7月6日に当戒壇院にて催行される行事です。
この日は朝から大雨で心配しましたが、行事に差し支えることもなく無事に終えることが出来ました。
15名ほどの和尚様方が参集され、たくましい読経の声が響き渡りました。